2012年2月24日金曜日

2/23 『心の氷柱』アートと詩のコラボ

数年前から、アクリルや水彩絵の具を用いて制作したアートに自作の詩(日英両語)を
綴ってアートと詩のコラボ作品を制作しています。

私が住んでいるカナダ西部の田舎町も三寒四温で少しずつ暖かくなってきました。

今回のタイトルは『心の氷柱』です。

 
『心の氷柱』

一本の氷の棒のように見える氷柱
ジッと目を凝らして見てみると
そこには年輪のような輪っかが
いくつも重なったものだと分かる

たった一つの大きな惨事が作った
心の傷ではない
連綿と続いた
心の傷の累積が氷柱の姿になった

多くの人は
「こんなものは要らない」と
根元から力尽くでへし折ろうとする
そして、自らの手を痛めてしまう

この氷柱を解かせるのは
暖かい太陽の陽射しだけ
春の兆しが感じられる頃に
一滴ずつ氷は涙となって零れ落ちる

機が熟して
心が温かさを感じられるようになったら
自分を守るために築いてきた氷のよろいは
もういらなくなる

心に春の陽が射すまでは
生きるために大切な心の氷柱
その冷たさにくちづけをして
雫が流れ落ちる、その日を想おう

 
Icicles in the Heart

Icicles look like icy sticks hanging under a roof.
However, when I gazed at them closely
I found there are layers in the icy rings.

If each ring is an emotional hurt,
I see that the icicle is not made from one catastrophic trauma,
They are made from rings of hurt feelings.

That is why we try to break the rings inside the icicles,
But end up with aching hands due to the coldness.

Only warm sunshine could melt the icicles.
In the same sense, when she is touched by someone’s emotional warmth,
A tear drop runs down her cheeks as she lets go of her pain.

When we are ready to move on we no longer need
To be frozen emotionally to protect ourselves from further hurt,

Before the time is right to let go of our pain,
We should not try to break the icicles by force.
Rather, we long for the day the inner rings to melt
While we observe them closely.

 
*氷柱の姿を描いていたら、心のトラウマとそこから立ち直る姿が
浮き彫りにされているように感じました。



 アート制作のプロセス:
最初に氷柱、空、木の輪郭を描いて、背景から塗っていきました。

 そして、氷柱を一本一本描き、アクリル溶剤を塗って、その部分に光沢を持たせました。

2012年2月8日水曜日

2/4 日本語&アート教室始まり

今年の西カナダは本当に寒い冬を迎えています。
それでも、寒さに強いカナダ人はコートの下は半袖のTシャツ一枚だったり、
体感気温の差を感じます。

私の町から東に40kmほどのところにマラクワという小さな町があります。
この町の小学校は過疎のためになくなり、校舎を用いて希望者のための
寺子屋的小規模小学校と、ラーニング・センターとして運営されています。

http://www.malakwa.ca/community.php?p=3

このセンターは元は小学校でした

二階建ての小さな建物です


このセンターより日本語のクラスを教えて欲しいと要請があり、
最初にカナダに住み始めたきっかけが日本語補助教師だった私は
昔取った杵柄、とばかり、隔週の土曜日に日本語&アートを教えることになりました。

日本語は分かるけど、アートは何をするのか?

参加者の自己紹介を絵に描いてしてもらったり、
クラスの中で言葉で交わす部分を絵や図を描いたりして交流を図ります。

また、アートは文化的な紹介の部分にも用います。
簡単なところから、最初のクラスでは節分の鬼のお面作りをしました。

 まずはバレンタイン・デーのためのハートを手に持って
そして、各自作った鬼のお面を掛けて
 一回3時間という長丁場なクラスなのですが、皆さん興味を持っていろいろ質問したり、
アートも楽しんで試していたのであっという間に感じられました。

私は学生時代、英語が好きだったのですが、学校の勉強はあまりにも退屈でした。
なので、自分が日本語を教える時は、参加者に楽しんでもらいながら学んで欲しいのです。

楽しく学んで脳のトレーニングにもなると好評のクラスは、
学校が春休みになる前に後2回予定されています。







2012年2月2日木曜日

2/1 『一本の絆』アートと詩のコラボ

数年前から、アクリルや水彩絵の具を用いて制作したアートに自作の詩(日英両語)を
綴ってアートと詩のコラボ作品を制作しています。

今回のタイトルは『一本の絆』です。

 

『一本の絆』

誰でも一度くらい
生きていたくなくなっても不思議はない
そんな時、
そこで留まるか、
逝き急いでしまうかは、
ほんの糸一本くらいの違いしかない

15歳の凍てつく日曜日の午後
もう、生きていたくないほど絶望し
一本だけ電話を掛けてから
そのまま高いビルから飛び降りてしまおうと
受話器を取った

先生は私の電話を受けて
「どうせ死ぬのなら、今日でも明日でも
変わりはないでしょう。
だったら、明日、学校に来て私に会いに来て
約束よ」
先生は慌てふためくこともなく、
平然とこう言い放って送話器を置いた

翌日、先生に会うためだけに
制服を着て、重い心を引きづって
なんとか学校に辿りついた
その頃には、これ以上の重労働は
考えられなくなっていた
自らの命を断つほどの意気も萎えていた

あの時、脆く崩れかけた私の命を
向こう側でしっかりと、でも、平静に
握り締めてくれた感触が
消えかけていた私の命の火を
もう一度灯す勇気につながった

一本の電話が
心と心を結ぶ絆となって
命綱となってくれた

今度は私が
差し伸べてくる小さな手の
反対側でしっかりと握り締めよう
一本の絆を
心の命綱を



A Thread of Attachment

When one has no desire to live,
There’s a very small difference, thin as a thread,
To decide to whether to give up
Or stay in this world.

When I was fifteen, I was in despair and did not want to live.
I called my school counselor to say good-bye to her.
She said, “It’s the same whether you kill yourself today or tomorrow.
So promise you’ll come and see me tomorrow.”

The next day it took all my strength to go to school.
When I saw my school counsellor, I was so discouraged I had no will to live.
However, I sensed my councilor held a thin thread binding us together,
A conviction that turned a light on in my life before it had almost gone out.

That one phone call was a bond between us,
Encouraging me and saving my life.
Now it is my turn to establish the same bond with my client,
The bond that binds clients and a therapist together.


*スクールカウンセラーとの関わりが、思春期の自殺念慮の命綱となった
自らの体験を綴ってみました。


アート制作のプロセス:


最初に手と絆という文字を白く抜いて背景の水色を塗りました。



手と絆という文字に色を塗り


絆の字と同色の毛糸を編んで、一本の糸に見えるようにしました。
そして、しっかりと留まるようにキャンバスに穴を開けて毛糸を通しました。